海馬スライスCA3領域におけるカルバコール誘導β振動

新井 潤、夏目 季代久

九州工業大学大学院生命体工学科

  

 小動物脳内海馬において観察されるリズムには、4-12Hzのθ波、12-30Hzのβ波、30Hz以上のγ波がある。θ波の発生は、内側中隔核から海馬へのアセチルコリンとγアミノ酪酸(GABA)作動性神経の入力により生じる。また、θ波発生中、振幅が大きくなるγ波には、海馬内抑制性神経の自発発火が関与していると考えられている。このように海馬内の興奮性神経と抑制性神経からなるネットワークによって神経リズム活動が生成している。また、神経リズムは、記憶学習課程に大きな影響を与えると考えられる。例えば、海馬θ波は、学習中のラットにおいて観察され、海馬におけるθ波が阻害されたラットは、新しい記憶を獲得しにくい。γ波もθ波と同時に生じているので、両者を用いた記憶モデルも提出されている。しかしβ波に関しては、その発生機構及び記憶情報処理との関与は不明のままである。最近、海馬スライスにアセチルコリン作働薬であるカルバコールを投与すると誘導出来る事が明らかになったので、この系を用いて、β振動(スライスでのβ波をこう呼ぶことにする)の薬理学的な性質を明らかにすると共に、β振動に対するシナプス長期増強(Long-term potentiation;LTP)の効果を調べた。
 カルバコールによってβ振動を誘導した、厚さ450μmのWistarラット海馬スライスを用いて実験を行った。LTP誘導には、θバースト刺激(TBS;100Hz、5発のパルスを200msec間隔で5発)を用いた。
 海馬スライスにカルバコールを投与すると、周波数13.7-18.6Hz、平均周波数17.2±1.5 Hz(平均値±標準誤差;n=6)のβ振動が誘導した。このβ振動に、ニコチン性受容体拮抗薬であるd-ツボクラリンを加えてもβ振動は変化しなかったが、ムスカリン性受容体拮抗薬である硫酸アトロピンによってβ振動は消失したので、カルバコール誘導β振動は、ムスカリン性アセチルコリン受容体の活性化によって生じると考えられる。
 さらに、β振動に関して、次の結果を得た。
 1)  β振動に対する海馬抑制性神経の関与を調べる為、GABA-A受容体の拮抗薬であるbicuculline(0.5-20μM)を
    投与した。1μM以上のbicucullineによってβ振動の振動周波数は、有意に低くなり、β振動は抑制された。

 2)  LTP誘導時、N-methyl-D-aspartate(NMDA)受容体が重要な役割を担っている。そこで、β振動発生に対するNMDA
    受容体の関与を調べた。NMDA受容体の拮抗薬であるD,L-2-amino-5-phosphonovalerate(APV;100μM)を投与した
    結果、
bicucullineの場合とは逆にβ振動の周波数は有意に高くなった(***p<0.0001;n=3)。

 3)
 β振動に対するLTPの効果を観察するために、β振動発生中にTBS刺激し、シナプスの可塑的変化とβ振動の周波数
    変化を測定した。TBS直後、集合スパイク(Population spike;PS)潜時は短くなり、その後、30分持続したのでLTPが誘導
    された。その時、β振動周波数は、TBS約30分後から低くなり始めた。またAPVを投与しTBS刺激を行うと、LTPは誘導さ 
    れず、β振動周波数低下も観察されなかった。

 以上の結果を説明するために、私たちは、β振動の発生には、海馬錐体細胞におけるCa2+依存性K+チャネル(KCa2+チャネル)が重要であり、そのチャネルによって、β振動周波数が調節されているという仮説を立てている。以下、1)-3)の結果を、この仮説の下、説明する。1)の場合、bicucullineによる脱抑制によって、通常のβ振動発生時と比べてより多くのNMDA受容体の活性化が起こり、錐体細胞への細胞外Ca2+流入が増加する。2)においては、通常のβ振動発生時に比べて、APV投与により、NMDA受容体を介した細胞外Ca2+流入が減少する。錐体細胞への細胞外Ca2+流入の増減は、KCa2+チャネルの活性化増加((1)の場合)、若しくは減少((2)の場合)につながり、β振動の周波数変化が生じたと考えられる。また、3)のLTP誘導時によってβ振動の周波数変化が生じた結果は次のように考えている。LTP誘導時、Ca2+依存性の蛋白キナーゼ(例えばCa2+/calmodulin kinase II等)が活性化する。その蛋白キナーゼによって、KCa2+チャネルがリン酸化され活性化変化が生じ周波数が減少する。蛋白キナーゼによるKCa2+チャネルの修飾に、TBS後、約30分かかる。
 以上の事より、生体海馬で観察されるβ波は、LTPによって、その振動周波数が変化する事が示唆される。以前、夏目らによってカルバコール誘導θ波もLTPによって、周波数変化が生じることが明らかにされているが、このような神経振動の周波数変調の機能的側面についても考えてみた。θ波やβ波の神経振動は海馬全体では同期して発生しているので、それらの振動の周波数が変化することによって、海馬内において局所的に誘導されたLTPに関する情報が、周囲に、周波数変化によって伝播しているのではないかと考えられる。また、今回の実験では、反対側の海馬からの入力であるcommissural fiberも刺激しているので、記憶情報処理時に、左右海馬が相互作用し、対側海馬による同側海馬における神経振動の周波数変化が起こっている可能性も示唆される。