特別講演1
女性ホルモンに依存した脳機能病態とその新たな治療法
篠原一之 長崎大学大学院 医歯薬学総合研究科 医療科学専攻 神経機能学
女性においては、女性ホルモンレベルは月経周期、妊娠・出産、ライフサイクルに伴って、ダイナミックに変動するため、脳機能にも影響を及ぼし、女性ホルモンに依存した脳機能病をもたらしている。本研究会では、我々が世界で始めて報告した稀な女性特有の睡眠疾患とほとんどの女性に見られる不定愁訴(抑鬱気分、不安、睡眠障害)とその治療法について講演したい。
女性の月経周期に伴う睡眠・覚醒リズについて調べたところ、ほとんどの女性は、睡眠・覚醒リズムは月経周期に伴って変動しないが、エストロジェンの高い卵胞期には持続的前進を、プロジェステロンの高い黄体期には持続的後退を示し、黄体期には睡眠・覚醒リズムと深部体温リズムが脱同調を示す症例を見出した(交代性位相変位症候群(APSS))。次に、APSSの脳内メカニズムを明らかにするために動物実験を行った。
(1)エストロジェン受容体(ER)の発現を体内時計中枢であるSCNで調べたところ、ER-βが中等量発現しているが、ER-αは発現してなかったので、エストロジェンの体内時計への作用はER-βを介したSCNへの直接効果であると考えた。(2)エストロジェンはSCN特異的にニューロン間特異的ギャップ結合遺伝子の発現を増加し、その増加はプロジェステロンによって阻害された。また、SCNにおけるグリア細胞特異的ギャップ結合遺伝子の発現はエストロジェンによって増加しなかった。従って、APSSの「黄体期における脱同調」は、「黄体期にプロジェステロンによってSCNのニューロン間ギャップ結合遺伝子が減少し、ニューロン間の同期が弱まることによって起こる可能性」が考えられた。(3)エストロジェンはSCNに発現するPer2の概日リズム位相を前進させ、振幅を減少させたがPer1リズムには影響を及ぼさなかった。従って、エストロジェンはPer2遺伝子発現を減少し、周期を短縮している可能性が示唆された。(4)Per2遺伝子発現はCLOCKとBMALによってポジティブに制御されている。一方、転写協約因子SRC-1がSCNに多く発現していることがわかったので、SRC-1とCLOCKのBMALへの結合能を調べたところ、SRC-1はCLOCKと結合しうることがわかった。かくて、エストロジェンは、SRC-1をERE上へリクルートすることによって、E-box上へリクルートされる確率を下げることによって、Per2遺伝子発現を調節している可能性が示唆された。
最近、我々はヒトでもフェロモンが存在し脳機能を変えることを示した。卵胞期の腋下物質は他の女性の排卵のタイミングを早め、排卵期の腋下物質は他の女性の排卵のタイミングを遅らせることが知られていた。そこで、腋下物質のパルス状LH分泌に及ぼす影響を調べたところ、卵胞期の腋下物質を嗅がせるとLHパルスの頻度は増し、排卵期の腋下物質を嗅がせるとLHパルスの頻度は減少することから、腋下物質の匂い成分は脳内視床下部に作用し、LHパルスの頻度を変えることによって、排卵のタイミングを調節していることが示唆された。従って、嗅覚情報が大脳新皮質を介さず、直接、情動中枢である大脳辺縁系や本能中枢である視床下部に入力することを考えると、匂い物質は情動障害(うつ病、)や本能障害(睡眠障害、摂食障害)に効果をもたらす血流を介さない新しい中枢神経系薬物となりうる。
黄体後期(月経前緊張症、PMS)、出産直後(マタニティーブルース)、更年期(更年期障害)に起こる女性特有の不定愁訴は、プロジェステロンの低下によって引き起こされると考えられている。そこで、女性特有の不定愁訴に効果のある匂い物質を探すため、各月経ステージにおいて、アロマセラピーに用いられる精油の主成分9種類の精神・身体状態に及ぼす効果を調べた。その結果、β-カリオフィレンのみが黄体後期(月経前)特異的に抑うつ状態を改善することが明らかになり、PMSの症状を改善する可能性が示唆された。次に、産科病院にてPMSと同じ病態であるマタニティブルースについて調べた結果、β-カリオフィレンは症状を有意に改善することが明らかになった。現在、β-カリオフィレンはマタニティーブルースやPMSの症状を緩和する医療補助物質として、femilax™の名で販売されている。